利用するという感覚の重要性

 すべては自分のために利用すればいい。そういった攻めの姿勢、ずる賢い姿勢が必要だ。純粋さだけでは資本主義という名のジャングルでライオンに食われるだけだ。この現実社会を生き抜くには、草食動物のような純粋さと、肉食動物のような獰猛さの両方を兼ね備えることが不可欠だ。自分は純粋さはすでに備えているが獰猛さが足りない。もっと獰猛さを出していけ。

 

 家族は利用するためにある。馬鹿な親を利用しなくてはならない。親が自分のことを理解してくれないとか、もっと価値のあることを話してほしいとか期待するのは馬鹿のすることだ。親など自分の人生の手段だ。もっと獰猛にいけ。狡猾になれ。

 

 大学も利用するためにある。授業がつまらないとか、形式的だとかそんなことを嘆く必要はない。大学はそういうものであり、奴隷を生み出すためのものだからだ。だから自分の頭で考えられない馬鹿は、大学の権威を疑わず、就職を疑わず、結婚を疑わず、不平不満だけ言い散らかして不満だらけの人生を送る。俺が大学に疑いを持てているのはなぜか?それは俺が純粋だからであり、自分の頭で考えているからである。馬鹿はなぜ授業を受けることが苦ではないのか?それは疑問を持っていないからである。

 

 疑問を持ちつつ、利用できるものを最大限に利用する。すべてのものは道具であり使える。すべての道具にはメリットとデメリットが存在する。そしてその道具をうまく使い分ける。頭がいいというのは道具の使い方がうまいということだ。どうすればうまく使えるのか?メリットを最大化し、デメリットを最小化するように扱う。それだけだ。そうするためにはきちんと道具の特性を把握する必要がある。

 親にはメリットがある。大学や教習の金を払ってもらえる。家に無賃で住まわせてもらえる。車を借りられる。料理を学ぶことができる。マッサージを学ぶことができる。

 学歴にはメリットがある。馬鹿を騙しやすい。特に学歴厨というやつらだ。

 大学にはメリットがある。女と出会いやすい、モラトリアムを稼げる。親が金を出してくれる。バンドができる。バイトしやすい。

 賃金労働のメリットは何か?それは頭を使う必要がないということである。デメリットはつまらない仕事でも奴隷のように働かなくてはならない。