意味を与えるのは自分自身

 この世のすべての物事に意味はない。いや、意味は与えられていないといった方が正しいか。そもそも意味という言葉自体が人間の作り出した概念であるのだから、しょせんは人間の扱う道具に過ぎない。人間の作り出したものはすべてが道具である。道具は使われるものではなく、使うものだ。意味という単語に踊らされ、うじうじ悩み、袋小路に陥っているとしたら、それは意味という言葉の道具に自分が使われているということだ。すべての物事に初めから意味があるというのは間違いだ。意味など与えられていない。人間など生きる意味はない。自分が生きることに意味はない。親が生殖した結果、生まれてきたにすぎない。そこには事実しかない。意味など存在しない。猫が生きていることに意味はない。そもそも猫たちは生まれてきた意味など考えない。人間だけが生まれてきた意味を考える。

 

 具体的な例を考える。大学に通うことに意味は与えられていない。大学に通うことに意味を与えるのは自分自身だからだ。意味を与えるというのは能動的な作業である。今の自分にとって大学に通うことの意味とは何か?授業を受けて単位を取ることの意味は何か?ここでいう意味とは楽しみや喜び、メリットなど、かなり広い意味での意味だ。

 

 他にも辛くてどうしようもない状況、それ自体に意味は与えられていない。しかしその状況を自分を成長させる絶好の機会ととらえるか、どうしようもないことだと諦めてうちひしがれるか、それは自分が選択することができる。

 

 このように、人間はどんな困難な状況においても、その状況や環境、行動に意味を与えることができる。

 

 今自分が大学の授業を受けることにも意味がある。成長する絶好の機会だ。