自由

今は時間的自由が存在する。まさに老後の生活のようだ。いやニートといった方が正確か。こうした時間的自由は自分の使い方によってあらゆることができるが、人間を怠惰にもする。自分は今、怠惰に生活している。なぜなら何も制約がないからだ。一日中寝ていようと自分を叱るものは誰もいない。自分で生活、ライフスタイルをデザインする必要がある。サルトルは『実存は自由の刑に処せられている』といったが、まさにそうだ。自由は優しくない。重い。自由と責任はコインの裏返しだから。この重さは誰にでも耐えられるものではない。だから学校や会社に時間を管理してもらう人がほとんどなのだろう。自分は創造的ニートとして生きていこうと思う。自分の本性に従って、能力を身に付けたいと思う。出来ればもう少しストイックになりたい。

とにかく今を楽しむこと、それが何より重要である。

社会や世間や親や他人が自分に要請する人生ではなく、自分が本当に心の底から望んでいる人生を生きたい。死ぬ間際に後悔したくないから。そのために目標を立てるのはいいかもしれない。立てる目標も自分の道に通じているかはきちんと確認する必要がある。例えば年収一千万とかTOEIC800点とか、そんなものは世間的な価値観に基づいた目標であって本当に自分が進みたい道ではない。世間や親に評価されようが自分が満足していなければ意味がない。

もっと自分に力をつけたい。力なきものは踏みつぶされる。奪われる。