見返りを求めるのは無駄

 与えることだけでいい。与えることそれ自体が喜びであり、次につなげるためのものじゃない。見返りを求めるために与えるんじゃない。与えるという行為はそれ自体で自己完結しているんだ。

 

 例えば誕生日で誰かを祝うとする。その時に言葉で祝うのは、相手からの返事の感謝の言葉、「ありがとう」などを聞くために送るんじゃない。ましてや相手に気に入られようとしたり、よく思われるために伝えるんじゃない。ただただ相手がこの世に生まれ、存在し、たくさんの人間の中から自分と出会えたこと、そして尊い時間を一緒に共有できたことに対する感謝や喜びを、自分が相手に伝えるために祝うのだ。

 

 自分が一番理解できないことは、特に若い女性に多いのだが、SNS等で大げさに皆に見せびらかすかのように誕生日を祝ったりしていることだ。本来、相手を祝うためだけなら、相手のLINEやダイレクトメッセージで一対一で届ければいいはずだ。それなのにわざわざ他のフォロワーも見れるように送るということは、本来の相手を祝う目的のほかに、相手と自分は懇意であるアピールをしたいという承認欲求の絡んだ意識があるということだろう。純粋に相手を祝うというよりも、祝うことによって発生する見栄や承認欲求を求めているとすれば、それはとても自己中心的な行為だといえる。