正しさは自分の中にしかない

 世の中に正しいことや間違っていることなどない。それがあるとすれば自分の中だけだ。自分の中の正解は他人にとっての不正解だ。正解や不正解がはっきりわかるものは科学などの論証可能な世界や、論理が整った哲学くらいだ。生きていることに意味はない。ただ存在するだけ。人間も動物なのだから。

 

 自分の中の正しさを他人に押し付けようとしたり、他者を否定したりすることはファシズムと変わらない。人間という存在自体がただの動物であり、愚かな存在であるという前提は変わらない。人間同士でそこまで差異はない。自分は他人とは違うという思い上がりはおよそ自分の人生を虚しくするだけだ。

 

 正しいか間違っているかという判断はほとんどの場合不可能だ。だからそんなことは気にしなくていい。正しさは自分の中だけにとどめておくものだ。他人が自分の答えに対してどう思うか。それは他者の課題であり、自分には干渉しえない。他人がどう思おうと自分の中の正しさを貫き通す。それしか自分にできることはない。他人がいくら間違っていると言おうとそれは関係ない。他者の評価を気にしていると、自分を貫く芯がなくなる。そうではなく、自分がこうしたい、こうすべきだと思ったことをする。それだけなんだ。正しさを外部に確認してはいけない。多くの場合、間違っているといわれるだろうから。でもそれだとカントの定言命法に反することになるのか。

 

 例えば恋愛について考えてみる。多くの人は不倫や浮気をいけないことだと思っているが本当にそうだろうか?私は不倫は自分の気持ちに正直で良いことだと考えている。結婚して浮気しないことがいいことだと考えられているが、結婚して不平不満を募らせながら一緒に暮らしていくよりも、自分の気持ちに素直になってその時々で好意のある人間と過ごした方が幸せではないか?結婚というシステムに縛られ、不幸になっている人間はごまんといる。もちろん結婚して幸せが持続する夫婦もいるだろうが、そちらの方が少数だろう。つまり結婚は万人にとって適しているものではないということだ。自分は適しているかどうか、冷静に自分の責任で判断する必要がある。ちなみに私は結婚は自分には向いてないと思うし、時代遅れのシステムだと考えているが、この考えを他人に押し付けようとは思わない。自分の中で正しければそれでいい。

 

 人間は先天的なことも異なれば後天的なものも異なる。つまりこの世に同じ人間は一人として存在しない。だから正解もその人間の数だけある。70億個の正解があるのだ。もちろん似ていることはあるだろうが、まったく同質なものは存在しえない。他人と自分は異なる存在である。そのことを忘れている人間が多いように思うし、ときに自分も忘れそうになる。

 

君は君で僕は僕 そんな当たり前のこと

なんでこんなにも簡単にぼくら 見失ってしまえるんだろう

 

ミスチルの掌の歌詞だ。